アンコールペッパーとの出会い

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カンボジア滞在記 2009年

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1回目の洗礼の40日間を終え、一旦日本へ帰国。

そして、直ぐにカンボジアに再渡航。再チャレンジの2回目の渡航で、友人が、一気に増えた。 人と人とのつながり。誠実な対応。世界共通なすばらしいこと。

25歳のプラ君を筆頭に友人達がたくさんできた。彼と代替燃料の圃場に通い、日々を共にしていっていると、彼は、家族、親族、家族の友人、様々なカンボジアの人々を紹介してくれた。

僕ができたのは、恥ずかしがらないで、チュムリアップスオ(こんにちは)、オークン(感謝)ソクサバーイ(元気ですか?)の3ワードを大きな声で言えたこと。

買い物に行ったときも、貫いた。  すると、けげんな目で見ていたカンボジアの人たちが、一瞬で笑顔になり、手を顔の前で合わせながら、挨拶してくれた。

顔の前で手を合わせることは、私のことを、目上、位の高い人と判断してくれた証である。 私も、手に何か持っていたとしても、できるだけ上の方で合掌し、挨拶をおこなった。人との輪が広がっていった。 プラ君も自慢げに僕を紹介してくれた。

日本食が恋しくなり、そのときにお世話になった、日本人のオーナーと、すてきなカンボジア人の奥様が経営されているカフェ。 そこで、1ドル75セントで食べさせてもらえる、から揚げ定食。付随ででてくるカンボジアのコショウ。 何気なくそのコショウを振りかけていたが、ソースを付けなくても、コショウだけでご飯が進む。

何だろう。このコショウ???  これが、アンコールペッパーとの出会いでした。

匂いが半端ではなく、気持ちいいし、後々ガツンと来る辛味。病み付きになりました。

そんな中、プラ君と何かお互いが心的にも、経済的にも豊かになれる方法はないかという話をしている中で、日本に持ち込んで売れる商品は何かとの会話を行っているときに、彼は、カンボジアのコショウと売ってもらいたいと言ってきた。

聞いてみると、虐殺時代の前までは、カンボジアのコショウは、世界1と言われていた。

技術者のほとんどが、殺された。  でも、今、コショウが復活してきている。 ぜひ、日本に紹介してもらいたいと。カンボジアの国、人々が背中から、押してくれているように思えた。

慎重に、確実に、誠実にと。

車を買い、シュムリアップから、首都プノンペンまで4時間。片道1車線の道を100キロで飛ばす。そして、そこから3時間かけて、有名な産地へ。  あてもなく、コショウ畑を車で走りながら、 私の右脳で判断し、農家の前で停車。  5件目で、若夫婦と出会う。  他は、高い値段を言ってきたが、彼らは、誠実な価格で、1トンを越えるような量でも、 祖母が、この辺りを仕切っている人物であるとのことで、対応可能とのこと。即決で、サンプルとして10キロを購入した。

コショウを日本へ持ち帰り、ジェトロや、税関、農水省に問い合わせた。

カンボジアですか?!

コショウですか?!

いいものを見つけられましたね!

輸入の特恵項目に入っており、関税はゼロですよ。

そして、2007年度まで、カンボジアのコショウは日本に輸入されていなかったことも教えていただいた。2008年度で、たった1トンであったことも。2009年は、フォレストジャパンで、5トンは輸入したいと思っています。

まず、飛びついてくださったのが、イタリアレストランの30代のオーナーシェフの方々。匂いをかぎ、一口なめただけで、即決で1キロを購入してくださった。 本当にうれしかった。現在、11店のお店が継続購入を約束してくださっている。 大事に、誠実にお取引をさせていただいています。

コショウの輸入国の割合は、マレーシア、インドネシアで80%、残りの20%を、インドや、ベトナム、スリランカなどの50カ国で競い合っているのが現状です。 そして、カンボジアのコショウは2007年まで、日本に入ってきていませんでした。

日本の市場は、大手2社が有名ですね。当社としては、大手と競い合うことは不可能でありますので、生活の中で、ちょっとしたこだわりを持っておられる会社、個人のお客様に、購入していただきたいと考えております。

本当に良いものでありますので、あえて値段競争はせず、カンボジアの友人達と共に経済的に豊になり、孤児院建設の役に立てる適正価格で運営していきたいと思っております。

フランス統治の時代がありましたので、フランスでは、カンボジアのコショウが人気ということを、カンボジアの友人から聞いております。

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2009年 カンボジアの現状

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先生や、警察官の平均給与が、US40ドル程度。生活が苦しいので、答えを教えるから、お金を持ってきなさいと言う先生、道端で取り締まった罰金はポケットの中にしまい込む警察官。

最低賃金1日20ドルのツアーガイド。でも、月に5日程度しかしごとがない。でも、高給な職業で、若者に憧れられるツアーガイド 。

井戸を掘ってもらう。は、ありがたいことではあるがやるなら井戸の水質検査をしてから帰ってもらいたい。

学校を作ってくれるなら、どこかのテレビ番組の自己満足みたいな一過性の支援ではなく、先生達の少ない給与の面倒も継続的に予算計画してもらいたい。そうでないと、現状は生徒に答えを教えてやるから、お金をもってこい。という先生たちは存在し続け、カンボジアの教育は、成長しないのです。というのが若者達の本音。

プノンペン、シュムリアップの2大都市に、ようやくケンタッキーフライドチキンが出来た現実。

カンボジアを一週回るのに、ようやくアスファルトの道だけを通行することができるようになっている。

お湯でシャワーをしたことのない人たちがほとんどである。

信号機の意味を知らない人たちがまだまだ多い。

30歳以下の年齢が、全体の半数以上である。

未だに、北の国境にある有名な寺院の所有権を争って、タイとカンボジア、ベトナム連合軍が機関銃で争そっている。

すばらしいコーヒーを栽培しているにもかかわらず、焙煎をするのにわざわざベトナムに運んでいる。

なぜか、目に付くのは、高級車のレクサスばかり。 一般者はトヨタのカムリのみ。 一家に一台のスクーター。

親切で、やさしく、目がきらきらしているカンボジアの人々がここにはいます。

日本人は、一回はここに来て、人生を見直すべきだと実感しています。オーストラリアでの生活を3年もしましたが、カンボジアのほうが、いろんな意味で豊かだと思っています。経済的な豊かさは、カンボジア以外の国のほうが勝っています。が、精神的豊かさは、カンボジアの人々のほうが勝っていると実感しています。

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今、私が考える、私がすべきこと。

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カンボジアに、2008年、年末から4回にわたり90日以上行かせてもらい、様々な考え方を体験させてもらえました。

国として、国民として上を向いて歩いていく、幸せになる、という信念は、程度の差があるにせよ、日本、オーストラリア、カンボジアに限らず、どの国にも共通している信念であるということを、理解しました。何が幸せか、不幸か、ひとりひとりで異なること。日本人の勝手な思い込みが多く存在していることも理解しました。

我々日本人が勝手に、不憫であると考えるのは、カンボジアの人々にとっては、余計なお世話である。しかし、いただけるものは頂いておく、という単純な感情であることを理解しました。

  GIVEから、MAKEに変換し、共存、共栄していくことが、重要であるという認識は、30代以下の人々の共通認識であることも理解しました。

彼らのチャンスがあれば、やりたいという切なる思いも理解しました。

カンボジアの常識の範囲内、狭い視野でしか物事を考えられない彼らがいることも理解しました。

カンボジア人が、一番大切にしている言葉は、正直、誠実。

虐殺、裏切りの過去から学び、誠実さ、正直さが、一番大切と理解した。カンボジア人の方々は年齢を問わず、日本人は誠実であると認識してくれている。

その上で、我々、私がすべきことは・・・。

誠実な、言動を行い、カンボジアの方々と共に成長していきたい。今後、50年、100年と継続していけること。

私がこの期間で接しさせていただいた組織は、るしな・こみゅにけーしょん・やぽねしあ、ハートオブゴールド睦日本語教室JBEC、BECC、岡山学芸館高等学校、プラファミリー、です。

この全ての組織が、行ってきたこと、行っていこうとしていることを、総合的に感じてみて、今、私の立ち位置で、行えることは、子供達の憧れのカンボジア青年と経済的豊かさを求め、共に成長し、共に成功者となっていくこと、ということです。